「超」強育論(4)

 宮本哲也先生は「面倒見のよい学校」についても検討されています。面倒見のよい学校とは、①宿題や小テストが多いので、塾に行く必要がない。②課題がたくさんあり、何を勉強しようか悩む必要がない。③成績が悪いと強制的に補習授業への参加が義務付けられる。④言われたとおり勉強するだけで志望大学に受かる、などです(p.66~67)。

 このような学校で勉強していると、自分で物事を判断する機会が少ないので何も決められない人間になってしまう、といいます。

 面倒見がよいということは、言い換えれば「自由度が低い」(p.69)と宮本先生は指摘します。「自分で判断する必要がないということは、判断する自由がないということ」、「困ることがないということは、成長する機会がないということ」(p.69)なのです。

 面倒見の悪い、つまり自由度の高い中学高校で学び、大学受験すべきだと宮本先生は薦めます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「超」強育論(3)

 算数の学力とは計算力ではなく思考力である、と宮本先生は指摘します。

 計算はすぐに結果が出るので、いくら計算力をつけても、ものを深く考える訓練にはなりません。計算だけ強化している子、日々の計算練習に抵抗を感じない子は、ものを考えない子=堪え性のない子(p.42)、「思考の芽を摘まれてしまった子」(p.44)になってしまうのです。

 「計算は正確でありさえすればそれほどスピードは必要ありません」と断言します(p.66)。本当の勝負は「自分が出した答えに誤りがないかどうかをあらゆる方法を駆使して確認」する「集中力と考える深さ」なのです(p.64~65)。

 算数で養われる思考力とは、「情報を取捨選択する能力」と「条件を整理する能力」であるといいます(p.62)。この二つの能力が自分で判断する力であり、「自分に合った生き方を見つける」、つまり生きる力なのです。

 計算の速さは重要ではなく、考える深さと数学的思考力を養うことが算数・数学の上達を意味する、と宮本先生は強調します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「超」強育論(2)

 宮本先生は「中学受験で中高一貫校に行き、大学受験で自分の生きる方向を決めるのが望ましい」といいます(p.37)。

 その理由は、大学受験のために努力する経験が必要だからです(p.37)。もし大学の付属校に入ると、大学受験はありません。さらに、学校の成績によって進学学部が決まってしまう欠点があります(p.36)。

 小中高大、あるいは中高大一貫校に人気が集まっている理由について宮本先生は、「子どもに楽をさせたい」、「つらい目に遭わせたくない」という考えがあると指摘します(p.35)。しかしこの考えは、子どもを「努力のできない人間になってもかまわない」「若い頃の苦労は買ってでもしろ!の逆をやっている」のです(p.35)。

 全く同感です。子どもに楽をさせてはいけないのです。「大学受験は人生の方向を決める重要な機会」(p.36)です。大学受験は「自分の限界」に挑戦し、自分自信の力で壁を乗り越える貴重な機会なのです。その機会を子どもから奪う権利は、親といえでも持ち合わせていないと私は考えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「超」強育論(1)

 宮本哲也先生の著書『「超」強育論』(2006年、ディスカヴァー)を読みました。先生曰く、前著が「強い子供」、本著が「賢い子供」を育てる方法について書かれています。

 宮本先生は「親が子供をつぶしている」といいます(p.22~)。たとえば、親が子供の勉強に口を出しすぎると、子供の授業中の集中力が低下するそうです。

 親が子どもをつぶさないようにするため、宮本先生は、「子どもたちの面倒はまったく見ませんが、親の面倒はまめに」見るそうです(p.23)。「月に一回の父母会、年に二回の個人面談」を実施しています。

 意外ですね。親とも対話が少ないのかと思っていました。自分の子どものことになるとつい力が入ってしまう親御さんが多いので、親との情報交換は頻繁に行われているようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

算数を大好きにさせるインド教育(2)

 333333×333333は? インドの小学校5年生算数の授業も紹介されています。生徒全員がすぐに「111110888889」と答えます。

 3×3=9、33×33=1089、333×333=110889… 一桁増えるごとに、1と8を0の両側に足せば答えが出るのです。しかし、この法則は他の数字には当てはまりません。

 このような学習をする狙いについて、先生は「生徒に算数に興味を持ってもらい」、「『算数は楽しい』というイメージを生徒たちに小さな時から植え付けて」(p.62)いるといいます。「子供の頃から数字を使って遊ぶことで、算数への抵抗を取り除いている」のです。

 さらに、生徒が法則性を見出すと、「自分は想像力に富んでいると感じ、自信を持ちます。それがさらなる創造性へとつながっていきます」と先生は指摘します(p.63)。生徒は他にも法則性はないかと、休み時間に競い合って探しています。「こういう発見がうれしく、それが算数好きを作る」そうです。数字で遊べる、面白い、ワクワクする。「実に楽しそうに、イキイキと目を輝かせて」算数の授業を受けているのです(p.64)。

 学習の出発点においては、子供たちが楽しく学べるような教材を大人が用意してあげているのです。興味を持てば、子供たちは進んで学習に取り組むようになります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

算数を大好きにさせるインド教育(1)

 NHKスペシャル取材班編著「インドの衝撃」(文藝春秋、2007年)のコラムに、インド人が数学や数字に強い理由が紹介されています。

 インド人は学校で99×99などの2桁の掛け算を暗記しているから数学に強いのだと思っている人が多いのではないでしょうか。しかし、事情は異なるようです(p.58)。

 インドの小学校では、2桁の掛け算を暗記している生徒はあまりいないそうです。代わりに、算数の授業の最初の10分に暗算を繰り返し行っています。先生が「89×73は?」と口頭で問い、生徒が即座に口頭で答えます。暗算によって計算力を維持し、脳を鍛えているのです(p.59~60)。

 また、家庭での学習環境も重要のようです。子供たちが両親と一緒に「計算ゲーム」を楽しむ姿が紹介されています。数字を使ったクロスワードパズルの盤上ゲームのようなものです。

 お父さんは「楽しみながらやる」ことが大切で、「興味を持って、楽しみながらやれば」、子供はどんどん学びたくなる、といいます。「子供たちが自ら進んで学ぶように促して」いるのです(p.67)。

 インドでは、理数系が高く評価されています。学校や家庭で、数学に強い子供を育てる工夫が施されているのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮本哲也「強育論」(11)

 「短所と長所は表裏一体」と宮本先生は指摘します。短所の裏にその子の長所が隠れている場合があるといいます。

 たとえば、「のみ込みが悪く、要領も悪い不器用な子は、いろいろなことをそつなくこなすことはできませんが、ひとつのことに粘り強く取り組むことができる場合が多い」(p.26)のです。

 逆に、「ちゃらんぽらんで飽きっぽい子は頭がいい場合が多い」けれども、すぐにわかってしまうので、深く考えようとしない、粘りがない、「行き詰るとすぐに別の分野に逃げて」しまうのです。新しいものには飛びつくけれど、見直しや反復を極端に嫌がり」ます(p.26)。

 問題は、本当は不器用なのに自分は頭がよいと思い込んでいる人です。粘り強くコツコツと積み重ねなければならないタイプなのに、ちゃらんぽらんで飽きっぽく、頭が悪い人は救いようが無いといえます。私もこのブログを活用して、じっくりと一つのことに取り組んで参りたいと考えております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮本哲也「強育論」(10)

 失敗と挫折、この経験が大切だと宮本先生は説きます。人生に成功している人は、挑戦する回数が多い。そのため失敗や挫折も多い。そこから多くのものを学ぶ。だから成功するのです(P.139)。

 成功していない人は、失敗や挫折から何も学んでいない、失敗を恐れて挑戦する回数が極端に少ないのです(p.139)。そういう人は「自分の欠点や弱点を直視する勇気がない」(p.139)。

 「失敗によって失われたものは実は何もなく、ひとつの経験を乗り越えることによってひとまわり成長した自分を発見」できるのです。失敗して後悔することはほとんどないのです(p.145)。

 人が後悔するのは踏み出すべきときに踏み出さず、チャンスを逃したときです(P.145)。努力のご褒美は、成功か失敗かという結果ではなくて、「成長」なのです。したがって失敗を恐れる必要などないのです(p.144)。

 失敗を恐れて挑戦しないことこそが愚かなのです。もちろん、挑戦の前に準備と努力が必要ですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮本哲也「強育論」(9)

 宮本先生は、「弱い人間」について語っています。弱い人間ほど自分を強く見せようとする、といいます。

 弱い人間は、「自分のやったことは過大評価し、人にしてもらったことは過小評価する」(P.82)、謙虚さがないのです。

 「謙虚であるということは自分の弱点や欠点を素直に認め、受け入れるということ」です。強い人間は自分を強いと思わない、優秀な人間は自分を優秀だとは思っていないのです(P.82)。

 「弱い人間は虚勢を張って自分を強く見せかけ」、「自分でも強い人間だと無理やり思い込もうと」しています。ありのままの自分を受け入れる勇気がないのです(P.83)。

 物事がうまくいかない「原因を自分以外のものに求め」、「成長することよりも虚栄心を満たすことを優先する」、「ちっぽけなものを守るために、大切なものを失う愚かな生き方」なのです(P.83)。

 これらの言葉を受け止めてみると、いかに自分が「弱い人間」かがわかりました。宮本先生は、人間のありようを奥深く探求されています。すべての言葉が胸に突き刺さるようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮本哲也「強育論」(8)

 宮本先生は、先生の役割とは「子どもの自立を見守り、促進する」ことだけだといいます(P.162)。放ったらかし伸ばすのが正解だそうです(P.164)。

 「授業延長、補講、個別指導」などを繰り返すのは、生徒が受験に落ちたときに「精いっぱい面倒をみさせていただいたのですが…」と言い訳をするためだと指摘します(P.166)。「延長や補講は言い訳の前払い」にすぎない、先生に力量がないだけ、といいます。

 「毎回、個別の質問を受けつけるようになると、その子は授業に集中しなく」なり、まったく考えようとしなくなるのです(P.168)。「行き詰るたびに考えるのをあきらめて質問に行ってたら」(P.165)、考えなくなる、頭を使わなくなる、よって頭がよくならないのです。

 長時間の授業、大量の宿題、個別の質問受付などは、生徒から、判断する機会、考える機会、頭を使う機会を奪っているのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮本哲也「強育論」(7)

 宮本先生は、教育界の現状を「弱い者勝ち」と鋭く批判しています。あらゆる分野ができる人間を中心に回っているのに、教育界だけが弱者の論理で動いているといいます。

 たとえば、教育問題の三大テーマとされる「いじめ、不登校(ひきこもり)、落ちこぼれ」の原因をすべて社会や学校や教師の責任にして、彼らをかばう「弱い者勝ち」のような状態になっていると指摘します(P.99)。

 人間は様々な困難を乗り越えて成長するものであり、かばうだけの対応は彼らから「立ち直るきっかけを奪っているだけ」(P.100)であるといいます。

 また、いちばんレベルの低い者に全体のレベルを合わせると、「全体の水準は下がり、もっとも下のレベルの人間はさらに下がる」、そして「全員が敗者になるという結果」しか生まないと指摘します(P.100)。

 学校や教師のエネルギーの大半がこうした弱者に対して費やされている現状は国家的損失であるといいます。失敗と挫折を乗り越える強い子どもを育てる教育が求められているといえるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮本哲也「強育論」(6)

 宮本先生は、信じることと疑うこと、どちらが大切かと問います。「間違いなく疑うことのほうが大切」だといいます(P.114)。

 真実はひとつであり、それ以外はすべてうそなので、簡単に信じるのは危険なのです。疑いぬいて、疑う余地がなくなったとき、はじめて信用できるのです。「信じるとは疑問を持ちつづけることを放棄することである」(P.114)と言われています。

 疑う、つまり考えて、考えて、考え抜くことが重要なのです。疑うこと、どこにも矛盾がないか確認することは、学習を通じて身につけることができるのです。

 最近、人に騙される事件が多発しています。考え抜く経験がないからではないでしょうか。人に騙されないためにも、勉強を通じて、疑う能力、考える力を身に付ける必要があると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮本哲也「強育論」(5)

 宮本先生は「堪え性がなければ何をやってもうまくいかない」(P.91)といいます。堪え性とは、耐え忍ぶ、我慢することと言い換えることができるでしょう。

 堪え性がない人は、「ひとつのことを成し遂げる」ことができない、「地道で丹念な作業」ができない人です(P.124)。「成果が現れるまで、ひとつの物事に取り組みつづけることができない」(P.125)、「何をやっても長続きしない。日々の生活に充足感もなければ達成感もない」(P.89~90)のです。

 「彼らは失敗や挫折に直面することを極端に嫌がり、自らの心が傷つくことを極端に恐れ、そういう機会をことごとく避けて生きて」います。他人の痛みや苦しみにも極めて鈍感だ、といいます(P.90)。

 したがって、堪え性がない人間は犯罪に走りやすいのです。犯罪の増加は、堪え性がない弱い人間を生み出し続けた「教育の敗北」だと宮本先生は指摘されています。

 「堪え性がない」…私の心にも、ぐさりと突き刺さる言葉です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮本哲也「強育論」(4)

 子どもの教育で最も大切なのは、子どもが持つ「学習したい」という本能の部分をうまく引き出すことです。

 学習は子どもの本能です。子どもには「強い知的欲求」(P.105)があるのです。その本能を大切にして、結果を求めることをあせらず、「問題に楽しく取り組んでさえすれば」、すべてうまくいき、結果もあとからついてくる、といいます。

 無理強いすると、「他人に支配されたくない!」という自己保存の本能が優先し、うまくいかないのです(P.111)。したがって、適切な時期に、教材を子どもの見える場所にさりげなく置いたり、親が楽しそうに問題を解く姿を見せる、のも有効だそうです。

 また、教材の工夫も必要です。宮本先生は、算数パズルや、「試行錯誤型学習法」に基づく教材を独自に作成されています。「おいしく食べられるように料理の工夫」(P.53)が必要なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮本哲也「強育論」(3)

 中学受験を控えた小学生に勉強を「やらせすぎ」ると失敗する、と宮本先生はおっしゃっています。

 早くから塾に通わせ、なおかつ大量の課題を子どもに与える。学校から帰宅して夜遅くまで、勉強漬けにする。「子どもの生命力をすり減らすような勉強」(P.4)では子どもは全く伸びないのです。

 学習の無理強い、頭ごなしの命令は、「『身体にいいから食べなさい!』とたまねぎを生のまま丸ごと食べさせようとしているのと同じ」(P.53)なのです。大量の課題は、「起きている時間はひたすら食べつづけなさい!」という拷問なのです。

 さらに、家庭において、「親が子どもに対して学習を無理強いするのは、子どものためではなく、自分の不安を解消するため」「欲求を満たすため」(P.57)なのです。学校や塾で教師が宿題を大量に出したり授業を延長し補習を頻繁に行うのは自分のためであり、「自分はこんなに一生懸命、生徒の面倒をみている」という自己満足だと指摘します。

 家庭や学校や塾で、長時間、大量の課題を強要するから、子どもは勉強が嫌いになり、拒絶するのです。では、子どもの教育は一体どうあるべきなのでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮本哲也「強育論」(2)

 宮本先生は、頭を使って考え抜くことによって、生きるために必要な学力が身につくと述べています。

 「ひとつの問題に集中力を高めた状態で粘り強く取り組む」(P.40)ことが大切であり、「大きなプレッシャーをすべての生徒にかけ」(P.47)、「緊張感の高い空気の中で頭をフル回転させ」(P.98)ます。

 だらだらと時間をかけても、頭を使っていません。「勉強時間の問題ではなく、集中力の問題」(P.74)なのです。緊張感のなかで集中して頭を使う場は、家庭ではなく授業です。「授業中にものすごく大きな差がついている」のです。

 昔の寺子屋のように、「ピリピリと張り詰めた緊張感の中で、真剣にものを考える、問題を解く、文章を書く。先生の説明は一言一句聞き漏らさないように全身を耳にする」。「これが本来の教育の場」(P.31)であると指摘されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮本哲也「強育論」(1)

 宮本哲也先生の著書『強育論(2004年、ディスカバリー)紹介します。2006年12月10日放送の「情熱大陸」(毎日放送)で偶然、宮本先生の教室を拝見しました。とても興味深い内容でしたので、早速、算数パズルと書籍を取り寄せました。

 宮本先生のパズルにはハマりました。こんなおもしろい教材はありません。条件を慎重に整理し、試行錯誤する楽しさを存分に味わうことができます。最後にバタバタと解けて完成にたどり着く瞬間が、なんともいえない快感です。

 パズルを職場の同僚に紹介したところ、アンテナの鋭い何人かの先輩が興味を持たれました。なかでも、算数の好きで職場のマスコット的存在である「おじいちゃん」は強い興味を示してくれました。次々とクリアーして、ついに最難関の青い問題集も制覇してしまいました。

 さて、「強育論」は、宮本先生の考え方がつまった読み応えのある本です。有名私立中学に大量の合格者を輩出する秘訣、という狭い話ではなく、「子どもに生きる術(すべ)を身につけさせる」方法、子どもの自立を促す教育が語られています。

 学習したいという人間の本能を生かした教育。集中力、緊張感、堪え性を養う教育。考え続ける場を与える教育など、すべての教育者にとって大切な要素がつまっています。

 人間の本質や自然界の法則から事例を引き、わかりやすく子どもの育て方が解説されています。有名中学受験塾のノウハウに収まらない壮大な教育論が展開されています。小学生の子どもを持つ親御さんや、教える立場にあるすべての人に本書を薦めます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「読み・書き・計算が子どもの脳を育てる」(7)

 「九歳半の節」という言葉が紹介されています。発達心理学では、「九歳から十歳にかけてが発達の節目、大きな質的転換期」だそうです(p.85)。

 学校の先生によれば、「四年生くらいまでの子どもたちはしつけも比較的しやすいし、読み・書き・計算をよろこんでやり、それを習慣化することもできるけれど、それ以降に取り組んでも効果が表れにくい」そうです(p.85)。

 実は「九歳半」ころに、脳の内部で大きな変化が表れるそうです。子どもの脳から大人の脳に変化するのです。

 脳がはたらくときは血液の流れを速くして、たくさんのエネルギーを取りこもうとします。子どもの脳は、血液の流れを速くするだけでなく、血液中の酸素を取りこむ割合も高めているそうです。大人の脳はその割合が一定です。「子どもの脳はひじょうに効率のよいシステムをとっている」のです(p.86)。

 このことから、低学年では、学校でしっかり読み書き計算に取り組んだほうがいいのです。それでは、「九歳半の節」を超えて大人型になった子は、いくらがんばって学習してもだめなのでしょうか。

 この疑問に対して川島先生は、脳はずっと成長し続けるので、「何歳になってからでも、学習するに遅いということはない」とおっしゃっています(P.146)。神経線維の数は年を重ねるごとに増えて、太くなってくるからだそうです。

 「脳は、一生成長し続けるのです。学習の効果は何歳になってもあります」。我々大人にとっても励みになる言葉です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「読み・書き・計算が子どもの脳を育てる」(6)

 学習のモチベーションを高める方法として、次の4点を提案されています(P.93~)。

 まず、アメとムチの使い分けです。不快な刺激と心地よい刺激を場面に応じて使い分けて、どちらが子どもの集中力の高めているかを観察するることが大切です。

 次に、毎日続けるために、何らかの変化をつけて、新しい刺激を与えることが大切です。目先を変えて、次の課題に進ませるのです。

 そして、自分の取り組んでいることの意味を納得させるのも必要です。「子どもたちは、説明が論理的で、自らが納得できれば、素直に理解を示してくれ、『自分の脳を自分で育てているんだ』というイメージがもて」、モチベーションがあがるといいます。 

 最後に、「競争」がモチベーションを高める一つの方法です。競争は脳の本能的な部分を刺激するそうです。

 やはり、子どもたちのモチベーションを高めるためには、大人たちの工夫が大切だということがわかります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「読み・書き・計算が子どもの脳を育てる」(5)

 川島先生は、学校で読み書き計算学習を行ううえでのヒントを与えています。

①授業のはじめに読み・書き・計算を

②くり返し学習するしかない

③「正確さ」と「速さ」で評価

 ①は、読み書き計算によって脳の血のめぐりがよくなった状態で授業にのぞむと効果があがるわけです。

 ②は、くり返し学習することで、脳の神経細胞を結びつける神経線維が太くなり、記憶が強くなるそうです。

 ③は、「遅く正確に」より「速く正確に」のほうが習熟度が高いといえます。遅い場合は、「神経線維がまだ細い、もしくは、まだまわり道をしながら情報を伝えている状態」なのです(P.91)。「速く正確に」がスキルとして使いこなしている状態であるといえます。

 ①③は、築山節「脳が冴える15の習慣」でも指摘されています。一定の時間の制約のなかで脳の基本回転数を上げると、脳がより活性化した状態で仕事や勉強に取り組めるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「読み・書き・計算が子どもの脳を育てる」(4)

 読み書き計算には、二つの重要な意味があると川島先生は指摘します(p.76)。

①読み・書き・計算のスキルを道具として使えるようになる   

②読み・書き・計算の学習をとおして、前頭前野をきたえ、人としての判断がしっかりできるようになる

 ①は人間が生きるうえで必要な力であることは明らかですが、実は、読み書き計算は脳の前頭前野を鍛えているのです。前頭前野は、「判断力、思考力、自制心、創造性などを司っている」ので、読み書き計算によって、考える力、生きる力、人としての判断ができる力をつけることができます(p.83)。

 「ここ十数年、学校教育のなかでは、ある意味で読み・書き・計算のような学習が避けられてきました。『押しつけになる』『つめこみだ』といわれ、それよりも『考える力をつけること』『生きる力を育てること』が強調されました。

 しかし、読み・書き・計算の学習が基本的なスキルを身につけさせることだけでなく、じつは子どもたちの考える力や生きる力を司る前頭前野を育てることになっていた」と川島先生はおしゃています(p.84)。

 子どもたちを健全に育てるには、まず読み書き計算をさせることが大切なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「読み・書き・計算が子どもの脳を育てる」(3)

 川島先生は「音読ほど脳が活性化している状態をみたことがありません」(p.60)とおっしゃっています。

 英語、日本語を黙読した場合と音読した場合の脳の血流を比較すると、黙読もかなり血液の量は多いものの、音読のほうが活性化されているエリアが広くなっています(p.59、p.61)。

  「音読は、目で見たものを口から出し、さらに出した音を自分の耳で聞く」作業です。目から情報を入力する「文字的言語」と、耳から入力し口から出力する「音声的言語」という両方の言語処理システムを同時に使用しているので、脳が活性化すると考えられます(p.74~75)。したがって、黙読よりも音読のほうが脳が活性化するのです。

 川島先生は「脳は複数のシステムを使うのをよろこぶ」と表現されています。音読は人間にとって楽しい作業なのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「読み・書き・計算が子どもの脳を育てる」(2)

 川島先生の研究によれば、「難しいことを考えているよりも、単純な計算や音読をしているときのほうが、はるかに活発に脳がはたらいている」(p.34)そうです。

 難しいことを考えている時と、ひと桁のたし算をしている時を比較すると、明らかに単純計算のほうが活発に働いています(p.35)。

 単純な計算と複雑な計算を比較すると、単純な計算をしている時は右脳左脳ともはたらいていますが、複雑な計算をしている時は左脳のみがはたらき、右脳は使っていません(p.62~65)。さらに複雑計算時と文章題を解いている時は、使っている脳の場所はいっしょです(p.64~65)。つまり、複雑計算や文章題よりも、単純計算が脳をたくさん使っているのです。

 また、驚くべきことに、一から十までの数を、声を出さずに数えた時、単純計算よりもさらに脳が活性化しています(p.60~63)。

 ①数をかぞえる②一桁の計算、のほうが、③複雑な計算④文章題よりも脳をたくさん使っているという意外な事実が明らかとなりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「読み・書き・計算が子どもの脳を育てる」(1)

 東北大学教授・川島隆太さんの著書『読み・書き・計算が子どもの脳を育てる』(祥伝社黄金文庫)を読みました。

 川島先生は、脳の血流を計測し、各部位の働きを研究されています。血流の多い部位は活発に働いています。それをビジュアル化して我々に提示されています。

 川島先生の研究によれば、人間の様々な活動のなかで、読み書き計算をしている時が、最も脳が活性化しているといいます。

 特に脳で最も重要な役割を果たしている前頭葉の前頭前野が活発に働くそうです。前頭前野には、「考える力、創造する力、がまんをする力、他者と上手にかかわる力など、子どもたちの生きる力の源が宿ってい」(p.4)るといいます。

 読み書き計算が、スキルを習得するだけでなく、子どもたちの「生きる力」の源が宿る前頭前野を鍛えていることが明らかになりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「学力低下を克服する本」(3)

 1970年代末から中学校が荒れた原因は、1971年の学習指導要領の改訂にあったと小河先生は指摘しています。

 71年改定の要点は、学習項目の多様化と、これまで高学年で学んでいた事項を低学年におろしたところにありました(p.93)。中学・高校から新しい学習項目がふりわけられた結果、猛スピードで授業を進めざるを得なくなってしまったのです。

 落ちこぼれが大量発生し、校内暴力が頻発、社会問題となりました。この改定に対しては「詰め込み教育」だと批判が強まりました。文部省は、「道徳教育の重視」と「理解を重視した学習」「社会とかかわる学習」=「総合学習」などを導入し、「生きる力」をはぐくむことよってこの問題に対応しようとしました。90年代に入るとこの動きは「ゆとり教育」として加速していきました(p.94)。

 「詰め込み教育」から「ゆとり教育」へ大きく方向転換したのです。学校週5日制、学習内容と授業時間は大幅カット、「生きる力」をはぐぐむ「総合学習」が導入されました。小河先生も80年代はじめから、子どもたちの荒れを収めるため、積極的に地域の総合学習的活動に参加されたそうですが、効果はなかったそうです。

 なぜなら、授業内容を理解できない生徒の不満が自己否定や他者攻撃につながっていたからです(p.95)。小河先生は、総合学習も道徳教育も、基礎的学力があってはじめて意味がある、と指摘しています。

 共著者の陰山英男先生も、「子どもたちが読み書き計算の反復練習によって基礎が固まっていればこそ」、総合学習は有効だと語っています(p.270)。基礎学力という土台の上に「生きる力」を養う教育が成り立つのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「学力低下を克服する本」(2)

 小河先生は、中学生の基礎学力向上をはかり、生徒の落ち着きを取り戻すため、次のような取り組みを実践しました(p.93)。

 ①現在の中学生の九割が何らかのつまずきを持っている。

 ②そのつまずきの主な原因は、小学校時代の読み書き計算の習熟不足による。

 ③したがって、そのつまずきを克服するためには、中学の学習と平行させながら、全員で、百ます計算、漢字練習、読書などの取り組みをする。

 ④一方で、つまずきチェックテストによって、その子ごとのつまずきの実態を把握し、つまずきに応じた指導をする。   

 このうち計算についてはA:百ます計算で、足し算、引き算、かけ算ともに二分以内、B:あまりなし割り算百題を二分以内、C:あまりあり割り算50題を三分以内、D:あまりあり割り算百題五分以内、という手順で進めます(p.124)。このAからDを毎日続け習熟したのちに、分数、少数、混合計算、方程式と順次指導します(p.130)。 

 基礎学力に習熟していくと、生徒が落ち着いてくるといいます。脳が活性化されて集中力が高まります。自分の可能性に気づき、みちがえるように成績を伸ばし、自信をつけるそうです(p.191~192)。

 「自分が伸びるということがうれしくなってきますし、友達から認められる」ので「集団に積極的にかかわろうとする」。「しらけた言葉を連発し、学級の雰囲気を暗くしていた子が、明るい方へ積極的に変わるようになってくる」そうです(p.196)。

 基礎学習が、情緒の安定や集中力の向上だけでなく、コミュニケーション能力の育成にもつながっているのです。           

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「学力低下を克服する本」(1)

 陰山英男・小河勝共著『学力低下を克服する本 小学生でできること 中学生でできること』(文春文庫)を読みました。

 1970年代末頃から、新入生が、「文が読めない、書けない、計算ができない」、「そればかりか、授業中、フッと立ち上がる、落ち着きがない、よくしゃべる、話がきけない」ようになったそうです(p.87)。

 「学校で過ごす大半の時間を、理解のできない授業をじっと座って聴いて過ごさなくてはいけないとしたら、その鬱屈した気持ちは自己否定からやがて他者に対する攻撃的な行動に転化して」いく(p.96)。

 彼らは「自分が悪い」と常に考えています。しかし、半年がたち、1年が経過すると、わからないという事実そのものが、彼らに「私は馬鹿なのだ」「ボクはアホや」と語り続けます(p.109)。

 無気力は、暗さや脱力感などの静的な形だけをとるのではありません。内面のうつろなゆがみを埋めようとし、妙にはしゃいだり、落ち着きがない、目立とうとする、時には、奇声を発する、乱暴になる、陰湿になる」のです(p.109~110)。

 このような現場の「荒れ」を、小河先生は、「読み・書き・計算」の基礎学力を鍛えることによって克服されました。この実践は、今日のあらゆる教育現場を考える上での出発点になる、と私は思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「受験勉強は役に立つ」(6)

 和田先生は、受験科目に数学を選んだ人は、選ばなかった人に比べて収入がかなり高いことに注目しています(p.74)。

 これは、京大の西村教授の調査結果に基づいています。3私大経済学部卒業生の卒業後の平均所得を調査したところ、数学選択者のほうが非選択者より50万円高かったそうです。さらに、共通一次試験導入後は、107万円多かったというのです(p.74~75)。

 この理由は「数学で培った推論能力を仕事に生かしているからだと考えられる」(p.74)と和田先生はいいます。

 和田先生の専門分野である認知心理学では、「思考」とは「知識を用いて推論すること」だとされます(p.68)。問題解決のため知識を加工したり組み合わせたりして考える過程が推論です。受験は、まさにこの推論能力が問われているのです。最も推論能力が問われる教科が数学なのです。

 数学は社会に出たら使えない、などと考えてはダメなのでしょう。数学で推論能力を鍛えていると考えれば、すべての受験生にとって、生きていくうえで極めて有効な教科であるといえます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「受験勉強は役に立つ」(5)

 和田先生は、「新学歴社会」の到来を予見しています。今までの「学歴社会」とは、「学歴が高ければ自動的に昇進していく」(p.177)社会でした。これからの新しい「学歴社会」は、自己分析や情報処理体験など、「受験で身につけたノウハウが社会に出てから役に立つ」のです。「受験で要領やコツを身につけた人は、要領よく生きていける」(p.117)のです。

 「大学生の学力低下が顕著になれば、企業側はますます一流大学の学生を優先的に採用するようになる」。「いわゆる二流大学の学生が、かつてとは比べ物にならないほど勉強にまつわる努力の経験が少ない」ので、「今後は受験勉強でノウハウ学力を身につけた学歴エリートの価値が上がっていくだろう」(p.181)とみています。 

 実際、「外資で有能視される人や、起業の成功者に、こちらが想像する以上に、日本の一流とされる大学の出身者が多い」(p.7)のです。

 ただ、「同じ一流大学でも、付属校から上がってきたり推薦入試で受かったりするのではなく、受験で受かることに意味がある」(p.177)と強調されています。「学歴が高いというだけではダメで、受験に裏打ちされた学力が求められる」のです。

 また、たとえ東大に入学できても、東大でロクに勉強もしない学生ではダメで、「要は、受験でせっかく培った学力をいかせるか」(p.43)が大切だと指摘されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「受験勉強は役に立つ」(4)

 和田先生は、「受験学力が否定的な見方をされるのは、大学側にも問題がある」と指摘します(p.23)。

 受験を通じて得られる知識や解法が大学入学後に役立たないというのであれば、大学側、「問題を作る側が時代に、ニーズに合った問題を出題」すべきだといいます。「子どもたちは受験に必要なことを勉強してくるのだから、大学が時代のニーズに合わせた良質な入試問題を出すべきなのだ」(p.23)、そうすれば、高校生の受験勉強の内容そのものが、そのまま「使える学力」なるのです(p.26)。

 私立大学の経済学部の入学者が「数学ができない」と嘆くのであれば、受験に数学を課したらいい、新聞を読まないと嘆くのであれば、「新聞を継続して読まなければ解けないような問題を入試に出せばいい」(p.25)、文章が書けない若者が増えているのなら、論述問題を課せばいいし、敬語が使えないことが問題だとすれば、入試で敬語の使い方を問えばいいのです。

 私立大学の経済学部は募集定員の一部(センター利用型など)で数学を課していますが、定員の大部分では数学を課していません。これは、数学を課せば受験生が減ることを大学側が懸念しているからといわれます。

 一方、英語については、1989年から東大の二次試験でリスニングが課され、東大受験生の英語力が向上したそうです。2006年からセンター試験でもリスニング問題が出題されて以降、「日本人全体のリスニング能力が格段と底上げされることは間違いない」(p.25)といいます。

 受験勉強や大学生の学力を問題視するのであれば、先に入試問題を問い直せと和田先生は指摘するのです。

 大学入試問題の形式が昔とあまり変わらないということは、逆に、受験を乗り越えて得られる学力を身につけて入学して欲しい、と大学側も認めているのではないかと私は思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「受験勉強は役に立つ」(3)

 一般入試を受験することによって本番に強くなる、と和田先生は指摘します。様々な困難を乗り越えて合格すれば、「精神面でのタフさ」が身に付き、「ストレス耐性が高い」人になります。成果主義が強まる世の中では、「本番に強い人間でないと勝ち残れない」といいます(p.38)。

 しかし、近年、「多くの子どもが、いわゆる『受験』を経験しなくても大学に入れるようにな」り、「必死に受験勉強して大学に進学する子どもが激減してい」(p.20~21)るのです。その要因は、「推薦入試」と「Fランク校」の増加にあります。

 私立大学を中心として、大学の入学定員の4割程度が推薦入試になっているといいます。受験生は、高校で一定の成績さえ修めておけば大学に進学できる制度です。

 大学側も、少子化で受験人口が減少するなかで、いち早く受験生を確保できます。最近は私立大学が付属高校を増やす動きもあり、今後も推薦入学者が増加すると考えられます(p.19~20)。

 推薦入学の増加によって、「本来なら受験勉強で忙しいはずの時期にヒマな高3生が増えているという驚くべき事態になっている」(p.20)と和田先生は懸念しています。

 「Fランク校」とは、定員割れしているので受験すれば合格する大学のことを指します。実際、大学を選り好みしなければ、確実に入学できます。

 受験を経験しない大学生が増加しているのです。私立大学の小中高大一貫教育によるエスカレーター進学の増加も、この傾向に拍車をかけるでしょう。

 日本が熾烈な国際競争に立ち向かっていかなければならない現在、和田先生が指摘するように、受験を戦い抜いた、たくましい人材が求められているのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「受験勉強は役に立つ」(2)

 和田先生は、受験勉強で身に付く学力を「コンテンツ学力」と「ノウハウ学力」に分け、「ノウハウ学力」が社会に出て大きく役立つ能力だ、と指摘しています。

 「コンテンツ学力」とは、「勉強して憶えた内容」、たとえば英語の文法や、国語の読解力、数学の解法、歴史の知識などにあたります。

 「ノウハウ学力」とは、効率的な記憶法や自己管理能力、自己分析能力などです。

 特に和田先生はノウハウ学力のうち、「志望校や自分の学力を分析して受験に対処する能力」(p.30)が重要だと指摘します。志望大学の受験科目と配点を分析し、それぞれの科目で何点取り、そのためにどのような勉強をするかを自分で考え実行する。この経験を通じて得られる能力を「受験学力」と呼んでいます。

 「入試の得点をシミュレーションして、自分の能力特性に合わせた受験対策を組み立てる」(p.32)、「高校生が経験する情報処理として、これほど高度なものはない。これを経験することが、受験で大学に受かることの大きな意味」(p.36)だといいます。

 この「受験学力」は、受験勉強の意味を考えるうえで、とても斬新で重要な視点であると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「受験勉強は役に立つ」(1)

 和田秀樹『受験勉強は役に立つ』(朝日新書)を読みました。和田さんは、受験勉強を通じて生きていく力を養うことは可能だと主張しています。

 和田さんは、受験勉強によって身につく学力を「コンテンツ学力」と「ノウハウ学力」に分けて考えることによって、受験勉強に対する様々な批判や「神話」を検証し、受験勉強がむしろ多様な能力を育むと述べています。

 荒瀬克己『奇跡と呼ばれた学校』が新しい高校教育のあり方を提示した一方で、本書は、従来から行われてきた受験勉強でも生きる力を十分獲得することができると指摘しています。2冊を読むことによって、高校教育の現状と今後歩むべき方向性が見えてきます。

 またこの2冊を出版し、異なる2つの教育論を提示した朝日新聞社にも敬意を表したいと思います。

 今回の和田さんの著書は、従来出版されてきた内容と重複している部分が多いので、斬新な視点を望まれる読者には不満が残るかもしれませんが、『能力を高める受験勉強の技術』(講談社現代新書)などとあわせて読めば、本書の主張がより明確に理解できると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「奇跡と呼ばれた学校」(7)

 堀川高校には、高度な教育内容を支える様々な支援体制が整っているといえます。たとえば、国が指定したスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定校になり、国の予算を有効に活用して、自然科学分野の教育を行うことができます。

 SSH予算によって「高度な実験機器の購入や、大学院生のティーチングアシスタント(TA)を雇い入れることが可能になった」(p.121)そうです。

 このTAは、高校教育現場にとってきわめて魅力的な制度です。研究活動への助言だけでなく、「生徒の相談役」にもなってくれるのです。大学生活を通じて様々な経験を積んだ大学院生のアドバイスは、高校生の研究意欲を刺激し、将来の夢や目標を掲げるきっかけになるはずです。

 また、学術顧問の先生から研究成果の評価も受けているそうです。井村裕さん、日高敏隆さん、稲盛豊実さん、中坊公平さん、山折哲雄さんなど、京都在住の著名人が就任しています(p.121)。

 このように、堀川高校は魅力的な研究支援制度が整っています。システムをここまで作り上げた関係者の尽力は大変なものだったと思われますが、公立高校の場合、一度高い評価を得られれば、多方面から強力なバックアップが得られる、ということもいえるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「奇跡と呼ばれた学校」(6)

 「二兎を追う」。堀川高校の高校生活を端的に表す言葉です。たとえば、「大学受験に必要な学力を身につけること」=「知識習得型の学習」と「大学入学後の研究に向けた能力や姿勢を養うこと」=「課題探求型の学習」(p.78)の両方に取り組むことを指します。

 言い換えると「詰め込み型の勉強」と「自ら考えて取り組む勉強」です。どちらも必要であり、2つの課題に取り組むうちに相乗効果が生まれると指摘します。また、二兎を「見える力」と「見えない力」という言葉を使って説明されています。

 「見える力」(見えやすい力)とは数値化できる力、測定できる力で、わかりやすいところでは試験の点数や偏差値などが挙げられます。「見えない力」(見えにくい力)とは、数値化できない力、たとえば、判断力、企画力、実行力、行動力、求心力、持続力、想像力、自己管理能力、我慢する力など測定しにくい能力です(p.80~81)。

 見える数字を決して軽んじてはいけない、知識は必要なものである、しかし同時に「見えない力」が「人として関わって社会で生きていく力」であり、人間が自立して生きていくうえで最も大切な力である、と指摘します。

 「人と関わって社会で生きていく力」を持つことが自立につながる。堀川では「18歳で自立できる青年を育成する」ことを最高目標にしています(p.80)。誤解を恐れずに解釈すると、従来大学で取り組まれてきた課題探求型の研究を高校段階で行い、「生きていく力」を身につけた人間を送り出す、そういった教育を目指しているのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「奇跡と呼ばれた学校」(5)

 堀川高校は生徒の主体性を育む教育を重視しています。「探求基礎」など、授業の中で生徒自らが課題を設定し考察するだけでなく、様々な「体験」を通じて主体性を育成します。

 たとえば、学校説明会や海外研修旅行などのイベントを生徒に運営させます。「舞台裏、ものがつくられていく過程を経験させる」(p.132)「ものごとが、どんなふうに形づくられ、進行していくか、バックヤードを見せる」(p.133)のです。学園祭も生徒が企画・運営します。

 主体的な行動がリーダーを育てます。「体験を通じてリーダーを育成」(p.134)する仕掛けがあちこちに散りばめられています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「奇跡と呼ばれた学校」(4)

 堀川高校は「シラバス」を作成しているようです。シラバスとは、学習内容を紹介する冊子です。大学では必ず作成されています。

 シラバスについて荒瀬先生は「教科においては各科目を体系化して、図示せよ。その教科の学習を通じて、どのような力を育成するのか示せ」(p.63)と指摘されています。ただ年間の授業計画を羅列するのではありません。

 シラバス作成については「教員全体が、2ヶ月ほど間シラバス作成にかかわって、教科としての科目体系や指導のあり方、授業についてあらためて話し合い、認識を共有した」(p.64)ところに大きな意味があったと語っています。

 「シラバス作成は全教員が授業について研修する、という機会」である